リブラリウスと趣味の記録

観劇とかパフォーマンスとかの鑑賞記録を淡々と。本務の仕事とか研究にご興味ある方は本家ブログまで( http://librarius.hatenablog.com/ )

【観劇ログ】劇団ショウダウン「レインメーカー」

どうも。イマイです。 

劇団ショウダウンさんの東京公演がやってきました。全部の予定をシャットアウトして,観劇の準備はバッチリです。思いが募りすぎて,うっかり応援記事を書いてしまうくらいの勢いです。

というわけで,昨年の池袋演劇祭で見事に優秀賞を取りました劇団ショウダウンさんの池袋演劇祭招待公演「レインメーカー」の会場である南大塚ホールまで本日はやって参りました。

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1.はじめに

南大塚ホールの入り口を入ると,たくさんの物販が目に止まります。劇団ショウダウンさんの物販と言えば,やはり台本と綺麗な舞台映像です。今回は前作のドラゴンカルトがラインナップに並んでいますので,早速確保いたしました。

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そんな中,目を惹くニューアイテムが。

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リストバンドはいつも見送るタイプの人ですが,書かれているメッセージが真っ直ぐすぎて,気がついたら2つ買っていました。なお,今回物販予定の「レインメーカー」台本はちょいとトラブルがあったとのことで,受付で注文→後日発送という扱いになったそうです。ちょっと残念。

客席について,折り込みフライヤーを見ていると,こちらのフライヤーが。

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劇団ショウダウンのナツメクニオさん脚本「メビウス」初の東京公演のチラシでした。来週に迫ったこちらの舞台もとても楽しみです。

stage.corich.jp

そんな感じで,わくわくしながらお手洗いなどを済ませつつ,客席で待機している内に,劇団主宰のナツメクニオさんが開演前の挨拶に登場し,いよいよ舞台が始まります。

以下千穐楽前なので,ネタバレ防止の改行連打をいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2.あらすじ

物語のあらすじは以下の通りです。

ずっとつづく、まほうだと、おもってた。

セルカの村の少年、エリアスは人気者でした。

大人のいない村で子供達は、いつもエリアスの村に集まり、
いつまでもいつまでも村を探検し、毎日をとても楽しく過ごしていました。

皆が仲良く、争いも、貧困も、飢えもなく、生きるための競争からも解き放たれ、
そこはまるでこの世の楽園だったのです。

そんな平和な村で、子供達はいつまでも楽しく平和に暮らしていくのでした。 ある日、エリアスは見ました。村の少女、ロイネがとても怒っている姿を。
皆慌ててロイネに聞きます。「どうしてそんなに怒っているの?」 逆にロイネは聞きます。

「どうしてみんな、笑っていられるの?」

終わらない夏の終わり、開かずの扉が開いた時、 村に降るはずのない雨が降り、

そして世界はゆっくりと始まるのでした。

舞台上には中央に門扉,上手と下手に3段ずつの階段といびつな十字架のような代物,一見すると廃墟のような印象を持つセットが組まれています。上手と下手から3本ずつ緑のスポット,上手と下手袖から1本のスポット,舞台の前面にも小さなスポットライトが仕掛けてあります。

暗転後に舞台が明るくなると,池袋演劇祭のCM大会のシーンから始まります。応援記事の時は序盤の転換ではないかと記載しましたが,本作品における実はクライマックスシーンであります。

www.youtube.com

劇団ショウダウンさんの作品ではお馴染みの,重要シーンの冒頭提示です。子ども達は怪物に追われながら,「門」を目指します。エリアスを先頭にひたすら逃げる6人。怪我をしたスヴィをヨルマが背負い,ロイネとヘルマンニとヤミがそれに続き,怪物達から逃れ,ようやく門の前にたどり着きます。

全員がストップモーションをした後,ヘルマンニが左右を見回し,物語の語り部として,客席に向かって語り始めます。世界が7日で作られるとしたら,7日で世界は終わらせられるのかとー。ヘルマンニの導きで物語は,8日前の世界へと切り替わります。

冒頭のシーンに登場する6人に,リュリュとヤーナの2名が加わり,しばらくの間,楽しい子ども達のシーンが展開します。朝起きて,ご飯を食べて,「しごと」をして,夜ご飯を食べて,寝てという生活。その中で子ども達はそれぞれの個性を存分に披露してくれます。猪突猛進型のエリアス,空気を読まないヨルマ,読書家で賢いヘルマンニ,臆病者のヤミ,食いしん坊のスヴィ,頼れる年上リュリュ,みんなのお母さん役ヤーナ。全てが16歳未満の子どもです。このコミュニティは子どもだけのコミュニティなのです。

好奇心旺盛の子ども達は,一見幸せに見える生活では飽き足らず,何か変わったことはないかと語っています。そんなある日,ヤミが「怪物にあったんだ」と口にします。普段なら作り話と笑われてしまうはずの怪物の話はロイネが「私も怪物を見たよ」と同意したその時から,時計の針は終わりに向かって,そして始まりに向かって,動き始めることになります。

エリアスはこの世界に抱いていた違和感や疑問を解き明かすために,子ども達が決して近づいてはならない,禁忌の地へと足を踏み入れます。雨が降り続ける広場の門,怪物を観ることは出来ませんでしたが,エリアスはいつかこの目で見てみたいと気持ちを募らせます。

また別の日,ロイネは村の中でも怪物を見たと言います。自分の家に入ってきて,ベッドで怯え,いつの間にか眠ってしまって,気がついたらトーストが準備されていたという夢のような話が語られます。

エリアスはロイネを連れて,またあの門へと向かいます。ロイネの手を引いて,少し誇らしげに向かった,あの禁忌の地で,エリアス達はついに,怪物に出会います。しかし怪物の出現に驚いたのもつかの間,怪物は傷つき,倒れてしまいます。怪物のマスクを取ると,そこには人間の顔が。

村で看病して,何でこんな怪物を連れてきたんだと子ども達が揉めている中で,怪物は目を覚まします。自分たちと同じ言葉,人間の言葉で語り始めます。そう,雰囲気は違うけれど同じ人間として。その「おとな」という怪物は自分の名前を口にします。「テオ」と。

かつてセルカの村にいたというテオ,そしてリュリュとヤーナの脳裏によみがえる,本当はいるはずの9人目の子ども,ミラのこと。ヘルマンニの手にした本の物語は1ページ,1ページと進み,見慣れた原始の森は,極北の密林へと姿を変え,止められない時間は少しずつ,終わりに向かって動き始めるのでした。

この先の結末はぜひ,舞台もしくは映像で見届けて頂ければ幸いです。

3.感想

実は1回目の観劇時と,2回目の観劇時で,かなり終盤の印象が変わった作品でした。最初拝見したときは,子どもたちがそれぞれに自分たちの成長をし,それぞれの未来を切り拓いていった爽やかな物語に見えたのです。ところが,2回目に丁寧に物語を追っていくと,クライマックスのエリアスのセリフ「ずっとつづく,まほうだと,おもってた」が大きく印象を変えたのです。1回目に見たときは見知らぬ世界へとこぎ出す青年が胸を張って高らかに叫ぶ,爽やかな船出の合図だと思っていたのが,2回目に見た時には,楽しかった日々に別れを告げる子どもの走馬燈,遺言のように聞こえたのです。

たぶんそれは,私が最初は大人の目線で見ていて,子どもから大人に成長できて良かったねと暗黙の前提を置いていたのだと思います。しかし,よくよくヘルマンニがなぜ,門の外へ出ようとしたエリアスに向かって,泣きながら残るという決断を打ち明けなければいけなかったかを考えると,このエリアスのセリフは,率直に朗々と語られれば語られるほど,楽しかった時間がもう戻らない時間であることを強く感じさせるのです。

きつく胸を締め付け,2回目からはまともに舞台上を見ることができないくらい,涙が止まらなくなりました。

 1回目はリュリュとヤーナは生き残っている錯覚に陥っていたのですが,2回目以降,怪物に襲われてから同じ服装では登場していないことに気づき,既に冒頭のシーンで戻らない時間が確定していたことが分かったのも大きかったかも知れません。

この物語には,多くの解釈を許す余白とそして解釈を受け止めるだけの骨組みが汲まれています。例えば,次のような疑問について考察することを許してくれる力があります。

1:テオの持っている情報は完全であったのか。

まず,あの世界で大人の世界を語ってくれるのはテオの提供する情報と,そうした行動を止めようとするミラの行動でしかありません。テオはミラによって記憶が戻ったとされていますが,テオの情報ですらもあの世界を知る上では不完全な情報になっています。

例えば,君たちが「最後の人類だ」というセリフについても,ラストシーンでセルカの村に新しい子ども達が現れるシーンと矛盾します。それだけでなく,テオがセルカの村の出身者であり,かつあの謎の軍隊では割と下っ端ということを考えると,全ての情報を持ち合わせていなかった,あるいは知る必要のない状態にあったと言うことが推測されます。

ラストシーンで「大人」になったエリアス達が,子ども達を救助した都思われるシーンもあれは,セルカの村ではなくて,どこかあの世界で生き残っていた別の子ども達ではないか*1

実はあの世界では,子ども達があちこちで生き残っていて,セルカの村にいる子ども達は,表向きは戦闘で生き残る子どもを選抜するというものの,実は保護して生き残らせるという裏の目的があったら良いなーという期待を込めてこんなことを考えました。

2:あの物語の視点は,神の視点か,それとも監視装置の視点か?

物語の途中,テオが門や監視装置を破壊するというセリフが出てきます。そこで思い立ったのは,あの物語は完全な第三者の視点(=神の視点)から描かれているのか,それとも監視装置ごしの世界なのかという疑問です。

別にどっちでも一緒じゃないかと思われるかも知れませんが,もし監視装置越しの視点であったら,あの子ども達の活発そうな姿は,実は全て「演技」であって,あの物語自体も,監視装置越しの誰かを喜ばせるための幻なのではないかと考えたのです。絶対にあり得ませんが,ラストシーンで子ども達がこっちに銃を向けて「ねえ,これで満足した?もう十分でしょ」と言って発砲してくるシーンを妄想しました。それくらい,あの世界の子ども達はまぶしく純粋無垢でした*2

3:なぜ大人はセルカの村に現れることができないのか?

飼育器や牢獄と比喩されるセルカの村ですが,AI「ネプチューン」があれほど簡単に記憶を消したり,感情に介入できる世界に,なぜ大人は登場することができないのかという疑問が湧きます。だって見つかっちゃったり,余計な話をしたら記憶操作してしまえば良いわけです。おそらくは大人の世界の方の秩序維持が目的であるかと思うのですが,純粋無垢な子ども達を守る以上の目的があったのではと色々考えてしまいます。

4:あの疑心暗鬼の仕掛けは,どんな機能を持っていたのか?

ネプチューンの妨害で疑心暗鬼に陥れられたというシーンがあるのですが,あれは疑心暗鬼を植え付ける,心にもないことを言うという仕掛けのように見えます。しかし,3パターン現れるこの仕掛けの最後,ヤミとスヴィのシーンだけ,影の声は「スープをあげる」,「ありがとう」という一見すると幸せそうな会話なのです。実は心のどこかで押しとどめている感情,本心と言うまでには多数派ではないけれど存在する感情を増幅させる仕掛けだったのではないかと思っています。考え出すと,色々考えてしまいます。台本が早く欲しいです(←そう来たか

それ以外にも,指摘しておきたい箇所がまだまだあります。

例えば,終盤のリュリュとヤーナが最後の「しごと」を割り振るシーンは,エリアスの意図とは別に最後の「しごと」になってしまったという所も心をざわつかせるのですが,あのシーンで左右に分かれて3人ずつ座っているその組み合わせが,脱出組と残留組を綺麗に分けているところは,見事だと思います。

それから,観ている最中,アドベンチャーゲームを観ている感覚になったことも指摘しておきたいと思います。アドベンチャーゲーム風の言い方ならば,あの終わり方はNormal Endなのか,True Endなのかと。もちろん一つの終わり方ではあるのだけれど,そうではない結末もあの子ども達なら選ぶ可能性はあったのではないかと思ったのです。残留組が違う組み合わせというのもあるでしょうし,全員が脱出,全員が残留と言うこともあり得るように思います。そういう感覚になるほど,多様な解釈を受け止める物語になっていて,言葉や行動が大切にされている作品だと思います。

4.キャストさん紹介

では,劇団ショウダウンさんを紹介するときには恒例行事になりつつありますが,ひとことキャストさん紹介のコーナーに参りたいと思います。

  1. エリアス役の林遊眠さん。天真爛漫,猪突猛進型のメインキャラで,今回も舞台をぐいぐい引っ張っていきます。ただ,前述したように猪突猛進のはしゃいでいる姿があるからこそ,ラストシーンの「ずっとつづく,まほうだと,おもってた」は心揺さぶります。細かい動きも凄く大切にされているので,注目です。
  2. ヘルマンニ役の浜崎正太郎さん。堂々と朗々と劇団ショウダウンさんのストーリーテラー役を務めていらっしゃいました。丸めがねと声がとてもマッチしていて,そして時に子どもの声で,時に物語を達観する「神」としての声で語る様子は,安心して世界に没入する素地を形成されていたと思います。
  3. ヨルマ役の篠原涼さん。ドラゴンカルトの時は座ってばかりだったので,今回は動けて充実している旨を終演後伺いましたが,身体能力や細かい動きを含めて,落ち着きのない子どもが容易にイメージできる素晴らしい方だと思います。おそらく出演者中,最大のジャンプを何度も披露してくださる所も含めて,舞台を縦横無尽に駆け巡っていらっしゃいます。
  4. ヤミ役の大西真央さん。おそらく全キャラの中で,一番感情の浮き沈みが激しい難しい役だと思うのですが,その場面場面で的確な表現を披露してくれる方です。篠原さんが動きで縦横無尽に駆け巡るなら,大西さんは感情で縦横無尽に舞台を駆け巡っています。食べ物が取られるスヴィとの絡みでは,ちゃんと前振りもされているので,そこも注目です。
  5. リュリュ役の中川律さん。全国1億2千万の中川律さんファンの皆様,お待たせしました。今回はセリフの構成上,転換のきっかけセリフがリュリュであることも要因だと思うのですがとても印象に残る役柄です。子ども達を守るカッコよいお兄さんがたっぷり拝見できます。パイドパイパーの時に拝見したときもサブ役で確かミリアムを守るお父さんの役柄だったかと思うのですが,真っ直ぐかつ真剣に身を挺して守ろうとする姿は必見です。
  6. ロイネ役のまりさん。物語を動かす,時計の針のような重要な役柄ながら,可愛く芯の強い強くヒロインを演じられている方です。広い劇場でもその凜とした声はストーリーの重要なフレーズを的確に伝えてくれます。ロイネは一度も物語の中では泣き顔を見せない強いヒロインなのですが,あれはみんなの前では泣くものかと強がっているのか,それとも本当に強いのかなど想像が広がります。
  7. スヴィ役の竹内敦子さん。サブキャラですが,レインメーカーと言えば食いしん坊のスヴィと思い出すほど確実に舞台に爪痕を残す役でした。もうズルいくらいに自由闊達な感じで,緊迫した世界でも少しの安らぎをもたらすコメディエンヌっぷりでした。途中性別が分からなくなる位,大暴れしているところは,こちらがニコニコしてしまうほどの楽しさがあります。
  8. ヤーナ役の元山志絵里さん。子ども達の中で最年長のお母さん役。大人の存在しない世界で,きちんと子ども達の秩序を守ろうとしている役です。中盤のダンスシーンは,CM大会の時のu-fullさんの曲を背景にしたシーンなのですが,単に楽しいダンスという印象だけでなく,終わりゆく儚いセルカの世界を象徴しているようにも見えて,私的には中盤なのに,涙腺がじわっとくるシーンです。
  9. テオ役の馬場秀幸さん。多少余裕を見せながらもセルカやミラを心配する青年役です。等身大の演技のように見えて,複雑な背景を感じさせるたたずまいは,子どもの中の大人という難しいポジションにピッタリだったと思います。終演後にもちょっと伺ったのですが,テオがどの辺まで情報を持っていたかというのは興味深いところです。「最後の人類」はセルカの村にしかいないのか,それとも世界の各地に「セルカの村」が有るのかという所は最後の解釈に関わってくるので,色々考えてしまいます。
  10. ミラ役の野村香奈さん。黒船の時の妖艶な占星術師に続いて,今回もクールビューティーな役どころです。物語の中で,一番感情の上下がない役なので,難しい役どころだと思うのですが,隙を見せない兵士というポジションと,緊迫感が伝わる重要な役だと思います。ラストシーンのセルカの村で別の役として,おにぎりを盗んだ際に見せる,いたずらっ子っぷり,舌をぺろっと出すシーンはミラ役とは異なった可愛さを魅せてくれます。

5.おわりに

 というわけで,気がつくとあれこれ語ってしまう作品でした。東京Onlyとのことですが,もっと色々な人に見て欲しい,せめて映像だけでもと思える,優しくでもちょっぴりハードな作品でした。ではこれから2日目の2ステージを堪能してきたいと思います。ではひとまず。

*1:守ると決めたのは,ロイネではあるのですが,子ども達も守るという意味だったのではないかとも考えました

*2:思わず何か意図があるのではないかと勘ぐるぐらい