リブラリウスと趣味の記録

観劇とかパフォーマンスとかの鑑賞記録を淡々と。本務の仕事とか研究にご興味ある方は本家ブログまで( http://librarius.hatenablog.com/ )

【観劇ログ】baghdad cafe' the 16th performance「会いたくて会えなさすぎるあなたたちへ」

ども。イマイです。

年末になりまして,もう今年の演劇は見納めかしらとか考えておりましたが,もちろん舞台はまだまだ年内もたくさん上演されております。

そんな中,先週立ち寄った観劇三昧日本橋店さんでの出来事。前から1つはぜひ手に入れておきたいと考えていた演劇のしおり。たまたま頂戴したしおりがSP水曜劇場さんとbaghdad cafe'さんのしおりでした。デザインがお気に入りだったので,横浜に帰ってからも数名の方に見せびらかしつつ,こんなのできたら良いねーと語っていたところでした。

f:id:librarius_I:20151219130255j:plain

そして,先週拝見した満月動物園でのこと。アフタートークで出演されていた,泉寛介さんが脚本・演出をされているbaghdad cafe'の公演が,ちょうど翌週あるということがアフタートークイベントの中で分かりました。ちょうどSP水曜劇場の姉妹番組である「空飛ぶ観劇部」で泉さんのお姿は拝見しておりまして,いつかは拝見したいなあと思っていたところでした。

「空飛ぶ!観劇部!」アーカイブ - YouTube

ということで,2週連続のシアトリカル應典院ですが,今年最後の観劇として大阪日本橋にやってきた次第です(TOPページからご覧の方は「続きを見る」ボタンをどうぞ)。

stage.corich.jp

とはいえ,(一瀬さんとかは客演で拝見しておりましたが)初めて拝見する劇団さんなので,少し緊張しておりました。ただ,開演45分前の受け付け開始と同時に当日券の扱いについて受付の方に伺ってやりとりしている間に,緊張もほぐれてきました。

2階への階段を上がりながら,先週と同じように左手にお墓を眺めながら,應典院のホールへ。

恒例のネタバレ防止用の改行連打。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の物語は劇団キンセアニェーラ*1という架空の劇団の中で,起きた事件が中心となっています。以下,あらすじをCorichの公演ページから引用します。

劇団キンセアニェーラの最終公演。 それは将来を期待された振鳥日日絵(ふりどりひびえ)の過去作品集。

最終公演で過去作品集をするのにはある事情があった。 前回公演終了後,脚本と演出を担当する日日絵が突然失踪した。 会場をすでにおさえていた劇団員たちは,脚本家・演出家【不在】の最終公演を行うことになった。

公演に向けた稽古中のある日,劇団代表トロの元に,元劇団員の羽世(はねよ)がやってくる。

羽世は,自分の結婚式に旧知である日日絵を呼びたいと言う。 トロは複雑な心境を整理できず,羽世に諦めるよう諭す。

日日絵の心がわからない。

けれど,日日絵の心の発露である過去の作品とは向き合わなければいけない。

やがて劇団員とその関係者たちは,日日絵不在の稽古場で「あいまいな喪失感」に飲み込まれてゆくのだった。

人のこころと,のこされた人たちの,こころがめぐりあう物語。 

初めて観る劇団さんだったので,開演前にフライヤーに目を通して,あらすじを頭に入れておきました。上演前の勝手な想像として,いなくなった日日絵に対して,寂しいとかもう一度会いたいと静かに寂しがる舞台なのかなと考えておりました。

寂しい,もう一度会いたいという方向は同じでした。しかしそれは静かな心のささやきというよりは,叫びや絶叫に近い,悲痛な寂しさが目の前では展開していました。誰もが日日絵に,半ば異常とも思えるレベルで執着し,とらわれている感じは役者さん方の熱演も相まって,非日常の世界を強く印象づけていきました。

極論すれば,あなたはどこまで演劇を愛せるのかという命題に対して,登場人物達がもがき苦しんでいる様が展開されています。もしかすると,役者が素で悩んで口論しているのかと思うほどの錯覚を覚えるほどで,「これ観ている方も演劇をどこまで愛せるかとと問われているのでは…」と終演後に考えてしまったほどです。

私も舞台は大好きですが,舞台上で展開されるエグい所や,生々しい所に圧倒されておりました。そしてあとあるシーンでは,まさに演劇を観ることでしか関われていない自分を投影しているかのような光景が展開されていました。登場人物が吐露する心の戸惑いや寂しさ,歪んだ行動は,いったい現実かそれとも幻なのか,いつもの演劇を観るときとは違う脳のパーツを使っているような楽しさがそこにはありました。

舞台上に出てくる日日絵は幻影なのですが,ではその実体はどこにあるのか。観終わった瞬間,感じていた違和感を抑えきれず,物販コーナーで台本を買い求めて,最初から物語を読み直してみました。ある1シーンのセリフとト書きを見て驚きました。そりゃ,劇団の団員は叫びたくもなります。婚約者は確かに驚くほどの小心者かつヘンタイだけれども,あれじゃ自害したくなっても仕方ない(汗)。

(そう考えてみると,歪んで見えた行動も役者が演じることで,現実に見えているだけであって,あれは実は役者のそれぞれが抱えていた心の闇であって,現実にはあんなに大げさなことになっていないのではないか…。なんてことも頭をよぎるほどでした。)

「演劇」という言葉で表現されていますが,例えばフライヤーにもあるように「神様」と置き換えて考えてみても,面白いかもしれません。心のよりどころとしていた存在,神様が不在となることで,いとも簡単に人は戸惑い,嘆き,暴れてしまうわけです。そしてその存在は見えないのに,見えると言う人がいたり,そこにはいないという人もいたり。そして,神様だったらこうするに違いない,いやそれは本意ではない等々…。

細密に組み上げられたお芝居とは対照的に,アフターイベントのクリスマス会は,あれこれぶっつけ本番なバタバタ感がありながらも,ほんのり温かい空気が流れていました。プレゼントは当たらなかったけれど,色々なアフタートークっぽいコメントも聞けたのでこれはこれで一粒で二度美味しかったです。毎回違うイベントを展開されているとのことなので,役者さんの負担はものすごいかと思いますが…(汗

最後に胸を張って申し上げますが,それでも私は演劇が大好きです。

baghdad cafe'

というわけで,色々と思索を巡らすことのできる作品でした。

今年最後の観劇が新しく拝見する劇団さんだったことは何よりの幸いです。また,来年も色々なお芝居を観て参りたいと思います。皆さま良いお年をお迎え下さいませ。それでは。

*1:いまググったら,メキシコの成人式の名称だそうで…。http://www.excite.co.jp/News/woman_clm/20130318/Leafhide_koikatsu_news_bbkglwbnR8.html