リブラリウスと趣味の記録

観劇とかパフォーマンスとかの鑑賞記録を淡々と。本務の仕事とか研究にご興味ある方は本家ブログまで( http://librarius.hatenablog.com/ )

【観劇ログ】せんがわシアター121 Vol.10 『海外戯曲リーディング』「いつも同じ問題」

どうも。イマイです。

海外へあまり行かない方ですが,お仕事と義理を果たすためにフィリピンと韓国に行ったことがあります。もう五年以上前ですが未だに話の種にするほどの衝撃がありました。

さて,日常に追われつつ何か良いことがないかしらと探す日々が続いています。そんな中勤務先のポストを覗いたところ勤務先直近の劇場,せんがわ劇場から『海外戯曲リーディング』のお知らせが入っていました。

www.sengawa-gekijo.jp

 

なるほど,おもしろい取り組みだなぁと思ってチラシを眺めていたら,見覚えのあるお名前が。劇団しようよの大原渉平さんが,演出に関わる演目があるようです。劇団しようよさんは不思議なご縁がありまして,この観劇ログでも何度か登場しています。

大原さんなら間違いはないと思い,勤務先の予定とほかの観劇日程と睨めっこしたところ,木曜日の夜なら行けそうだとわかりました。というわけで,仕事帰りにせんがわ劇場までやってまいりました。

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今回上演されるのはせんがわシアター121 Vol.10の『海外戯曲リーディング』というシリーズです。これは今まで国内で上演されたことのない戯曲をリーディング公演(台本が役者さんの手元にある)で上演するというものです。

今回拝見する作品はパレスチナのイハッブ・ザハダァさん作の「いつも同じ問題」という演目です。この脚本を劇団しようよの大原さん(そして演出助手としてドキドキぼーいずの本間広大さんが加わっています)が演出し,総勢6名の役者さんで上演します。

 

受付を済ませてフラフラしていると,ロビーにフランスやパレスチナなどの海外の国々の様子を伝えるパネルとパンフレットが置かれています。今回上映される戯曲の背景となる国の情報がこの展示を通じて分かるようになっています。私は今回の戯曲で作者の背景となるパレスチナについて展示を眺めていました。パンフレットは自由に取ってよいとのことなので,1枚頂戴して参りました。普段馴染みのない国の戯曲なので,こういう企画は大変嬉しい限りです。

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ではネタバレ防止の改行を連打しておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

物語のあらすじは下記の通りです。 

目の前に大量のゴミが堆積する13号アパート。隣同士で暮らす3人の男たち。彼らは、隣人の生活にはクレームをつけるが、他者が捨てるゴミには何も言わず、我が暮らしを嘆くばかり。訪れる人々も忙しさや自分にふりかかる不幸を憂いてばかりで、解決の糸口は見出せない。そして、3人が選ぶ未来は。

http://www.sengawa-gekijo.jp/kouen/16512.html より引用)

開演前,舞台上は黒いゴミ袋に包まれた物体と,散乱した紙片で覆われていました。開演すると,聴力検査の時に聞くような特定周波数帯のブザーと蚊の飛び回る音が聞こえてきます。ナレーションとともにひとりの男,ハーレドが舞台に登場します。家から出てきて呆然としているところに,カーセムがゴミを投げ捨てます。

ゴミを投げ捨てるといっても舞台上に45リットルの袋満載のゴミが投げ込まれるわけではなく,台本の間に挟んでいた紙片の橋をつかんで,そっと床に手放す感じで進んでいきます。リーディング公演だから演技は全くないのかと思いきや,台本を持ちながらも少しずつ演技が混ぜられていきます。

ハーレドとカーセムはお互いをひどくののしり合いつつ,ゴミをどのように処分するのかについて喧嘩になります。そのやり取りをマジドが冷ややかに眺めながら,でも聴こうと思っているラジオが二人のけんかで聞こえないことに業を煮やし,2人に苦情を申し立てます。こうしてメインの3人が出そろいます。

舞台上で謎の存在だった黒いゴミ袋に包まれた物体は3脚の椅子でした。この3人が黒いゴミ袋に包まれた椅子に腰掛け,戯曲を読み進めることで物語が進行していきます。ハーレドは足の悪いカーセムが家の窓から投げ捨てるゴミの投棄をやめさせたいと考え,カーセムは火をつけて燃やしてしまえばすべて解決すると考え,マジドは二人のけんかを止めてほしいと考えています。

一見すると3人の願いは簡単に片付くのかと思いきや,カーセムが提案する燃やす方法はハーレドが喘息で煙が出ることを嫌がるために踏み切ることができず,ハーレドがやめさせようとするゴミの投棄について,カーセムは燃やす以外の方法を認めず,マジドが提案する嘆願書の方法もカーセムがスキャンダルになるからといって嫌がります。

この構図だとカーセムが単にわがままを言っているだけのように見えますが,実は3人ともに歩み寄ろうとすることはほとんどなく,互いにクレームを言い合っているだけで仲裁をし,歩み寄ろうとする行為はほとんどみられません。「いつも同じ問題」で3人は争い続けることになります。

物語が進む中で,子ども,ごみ収集人,ジャーナリスト,歌手,苦情担当係といった外野が登場してくるのですが,誰一人問題の解決にはつながらず,互いに無責任かつ自分の主張をひたすらぶつけ合うギスギスとした時間が流れていきます。

役者さんの熱演もあって,この辺りからリーディング公演ということをすっかり忘れて目の前の演技に集中していました。気がつくと役者さんの後ろにはテレビのニュースで流される中東の風景,れんが造りのアパートが見えてくるような気がしました。

ギスギスした空気は単に互いが不寛容であるためではなく,このアパートがパレスチナという地に建っていることも原因の一つとなっています。検問所の存在,壁,貧困,そしてこの地から離れることを躊躇するような歴史,本やテレビから仕入れた遠い世界の知識が,目の前の舞台で提示され,重みを持ってぶつかってくるような感じを得ました。

物語の終盤には,どうしようもない絶望感,断絶,すれ違いというキーワードが浮かんできました。対話という言葉はここ最近重要なものとして盛んに取り上げられる言葉ですが,ここまで対話の困難さについて,真っ正面から考えたのは初めてかも知れません。それと同時に,パレスチナという地域だからこそ存在する人々の苛立ちやぶつけようのない怒りといったものが伝わってきました。それも政治や哲学が題材ではなく,目の前の単なるアパートのゴミの揉め事を通じてです。

こう書いてしまうと,終盤までずっと重い空気なのかと思われるかもしれません。確かにギスギスはしているのですが,ところどころで空気を変えるようなシーンもあります。例えば,ジャーナリストは英語を主に話し,アラビア語は片言であるという設定について,舞台上ではアラビア語は怪しい日本語で,英語は流暢な英語のまま演じられます。この怪しい日本語がいかにも怪しい感じなので,私は数度吹き出してしまいました。

ただ,このシーンの面白さはこれだけではありません。3人の男のうち,カーセムはアラビア語しか話せず,ハーレドは片言で英語が話せ,マジドは流暢に英語を話すことができる状態なのですが,このギャップを生かして,マジドとハーレドがジャーナリストに訴えかけているメッセージをカーセムが全く理解できずうろたえるシーンがあります。この間,舞台上では流暢な英語,片言の英語,日本語が入り乱れてやりとりされています。これは他言語が入り乱れる文化,そしてジャーナリストに訴えかけようとすれば英語を使うしかないという文化だからこその面白さだと思いました。

ラストシーンでは,ハーレドとマジドはアパートを離れることを決意します。問題を解決することではなく,そこから逃げることによって解決が図られた訳です。さて,問題の原因であったカーセムですが,ラストシーンでおじさんに金策を依頼する中で「アパートを買うのだ」と打ち明けます。このアパートは物語の舞台である13号アパートなのか,それとも引っ越す先のアパートのなのか。どちらとも取れる台詞なので,終演後しばらくどちらの解釈が正しいのかを考えていました。

前者ならばカーセムによる乗っ取りが成功したことになりカーセムの策略が成功した物語となりますし,後者ならば結局3人とも問題を解決せずにその場から逃げ出すことしかできない(=パレスチナが抱える問題は容易に解決できない)という解釈になるのだろうと思いました。これすらも的外れかもしれませんが。

リーディング公演ということで,制約条件が多いのかなと思っていたのですが,終わってみるとパレスチナ特有の問題を含みつつ、対話の難しさが真っ正面から描かれて見応えある作品でした。リーディング公演は多様な魅せ方がある,そんな発見ができた1日でした。

この後2月19日まで7カ国の戯曲が上演されるとのことです。お近くの方は足を運んでみてはいかがでしょうか。面白い発見ができると思います。

www.sengawa-gekijo.jp