リブラリウスと趣味の記録

観劇とかパフォーマンスとかの鑑賞記録を淡々と。本務の仕事とか研究にご興味ある方は本家ブログまで( http://librarius.hatenablog.com/ )

【観劇ログ】コトリ会議「あ,カッコンの竹」

どうも,イマイです。

関西小劇場が大好きで企画とかはとても好きです。今回も本来なら観劇の予定を入れない日なのですが,気がついたらこまばアゴラ劇場までやってきておりました。本日は,大阪の劇団で数多く制作を行っている若旦那家康さんの劇団であるコトリ会議を観にやって参りました(壱劇屋さんとかでも色々お世話になっております…)。

今回の観るきっかけはズバリ下記の企画でした。壱劇屋さんは観に行くことが確定していたので,これをきっかけに観たことのない2劇団の舞台も観てしまおうという,お祭り好きの血が騒いだ次第です。

kotorikaigi.seesaa.net

というわけで,先週に引き続き,本日もこまばアゴラ劇場にやって参りました。(本務多忙モード中に付き,ミニバージョンでお届けします)

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本当はもう少し長めの文章でちゃんと表現したいのですが,きちんと書いている時間がないので,とにかく上演期間中に何らかの記録を残したいと思って走り書きをしておきます。ネタバレを触れるので,改行を連打しておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • リズミカルに反復するセリフの心地よさと面白さにまず惹かれました。時に笑いを生み,時に深刻さを伝えるセリフのテンポが*1私はとても好きです。
  • 物語は謎を残す構成で,確かに「わからない」という感想が多く寄せられるんだろうなと思うお話しでした。でも,あの世界を日本の田舎にある竹藪と捉えるか,日本語が通じていて地球とは言っているけれども実は別世界と考えるべきかなどを含めて考える楽しさがある物語だと思います。
  • その上で,終盤のシーンで竹藪を人間の部位に例えるところは,中盤の味噌汁の具のハンバーグの表現も含めて,穏やかではあるけれども生々しい表現がちりばめられていて,その辺が「生きている」とは何かと考える材料になっているのかなと思います。
  • そもそも,中盤であのキャラが亡くなったことを「初めて」認識して「死」が身近になっていくのですが,それは最初の「死」だったのか,そもそも最初から全員生きていたのかということも含めて考えると,さらに面白さを感じます。
  • 小さな空間を疾走する役者さんの躍動感もこの作品の魅力です。失踪することで終わりの見えない竹藪が表現されているのですが,本当にあそこは終わりの見えない竹藪だったのか,それともただの狭い空間をぐるぐる回っているのかということも考え出してみたりもします。
  • あの竹藪に迷い込んだら最後,ほとんどの場合は死ぬことが運命づけられている(=あの物語上では竹藪から帰った人間はいない)のですが,なぜ運命づけられているのかは色々興味が湧いてきます。「野お母さん」がなぜあそこまで写真を拒み,竹藪の出来事を語られることに恐怖を感じるのか,そのあたりは戯曲のト書きを読むか,頭の中で補完するしかないのでしょうが,あそこだけ妙にうろたえていて印象に残りました。
  • 物語が割と断片的に描かれているのは、あの世界を眺める監視カメラ的な観点が存在しているのかなと思いました。
  • 竹の音は結局何だったのかということも興味の一部です。「野お母さん」が遺伝子分析を開始した音だとも考えられますが,だとすると,終盤電源が落ちているのでそれは否定されることになります。帰り道で色々考えたのですが,あれは純粋に誰かが亡くなったらシシオドシの音がなる世界なのだと受け止めるのが一番良いのかなも考えましたが…。時間をかけて戯曲をもう一度読んでみようと思います。

気がつくと,シナリオだけでこんなに色々思索をできるので,後を引く面白さがあるのだと思います。一言では表現しにくいですが,非日常を味わえる演劇ならではの面白さがたくさん詰まった作品だと思いました。まだ当日券も出されるとのことなので,ぜひ未見の方は一度ご覧になって観てください。今日も楽しい観劇でした。

stage.corich.jp

*1:他劇団からすると,戸惑いを覚えるテンポだと言うことですが