リブラリウスと趣味の記録

観劇とかパフォーマンスとかの鑑賞記録を淡々と。本務の仕事とか研究にご興味ある方は本家ブログまで( http://librarius.hatenablog.com/ )

【観劇ログ】ドキドキぼーいず#06「じゅんすいなカタチ」

どうも。イマイです。

これまで観劇していない劇団さんの公演を見るきっかけはいろいろあります。今回は他の劇団さん目当てで観劇したコンクールが きっかけというパターンです。そのコンクールとは,せんがわ劇場演劇コンクールです。

前にも観劇ブログを書きましたが,劇団しようよさんのウォーターメロンクラウドファンディングプロジェクトの成果を見届けようと伺ったのが,昨年の7月,第6回せんがわ劇場演劇コンクールでした。

【観劇ログ】劇団しようよ「こんな気持ちになるなんて」 - リブラリウスと趣味の記録

そのコンクールで劇団しようよさんはオーディエンス賞に輝くわけですが,そのときのグランプリを獲得したのが, 同じく関西から参戦していたドキドキぼーいずさんでした。

第6回せんがわ劇場演劇コンクール|調布市 せんがわ劇場 公演情報

残念ながらグランプリ受賞の「闇」はスケジュールの都合で観ることが出来なかったので,今回はそのリベンジとして,グランプリ受賞の凱旋公演「じゅんすいなカタチ」を拝見しに訪れた次第です。

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今回の公演は冒頭でも申し上げたように,第6回せんがわ劇場演劇コンクールのグランプリ凱旋公演として実施されています。チケットを予約する際,観劇する際には,あまり事前の情報を仕入れすぎないようにしているのですが,フライヤーの情報ぐらいは把握しておいた方が良いかなと考え,ちょっとだけフライヤーを開演前に読んでおくことにしました(画像リンクはせんがわ劇場の公式ページにつながっています)。

http://www.sengawa-gekijo.jp/_event/15197/image2L.jpg

内容,演出方法ともに斬新でありながら,確かなリアリティを持つというせんがわ劇場コーディネーターのメッセージを見て,どんな風に斬新なのだろうと興味を膨らませていたら,開演時間と相成りました。

さて恒例となりましたネタバレを避けたい方のための改行連打を入れてから,感想ログを進めていきたいと思います。(なお物販の構成台本+記憶を頼りに書いているので,違っていたらごめんなさい)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

物語のあらすじは下記の通りです。

「自分の身は自分で守らないとね。結局人間、ひとりぼっちなんだから」
雪が解け、ぬるい風が吹き始めた頃に、母は死んだ。
やり場のない感情を胸に、兄と妹は日々の生活を取り戻そうとする。
そうやってようやく気持ちが落ち着いてきた四十九日、10年前に失踪した父親が突如として帰ってくる。
「もしも、お父さんが帰ってきたらね、とりあえず一発殴っておいてね」

http://www.sengawa-gekijo.jp/kouen/15197.html より

舞台上のセットは,後ろに段が組まれていて,後方上段にはスクリーンが配置され,舞台上には家具が点在しています。ただし,明確に家だと主張するセットは,入り口と思われるドアの枠組みなどを除いて,ほとんどありません。目を引くのは,舞台後方上手にぶら下がっているロープの輪っか*1です。側にチェアが1つ置かれていて,これは首つり自殺に用いるアイテムを想像しました。

開演前から,開演直後までの間,印象に残ったのは静寂でした。普通,演劇公演だと開演前にBGMが流れていることは数多くありますし,開演の合図として関東ではM-0,関西では緊ソンと呼ばれる音楽がフェードインで大音量になることは良くあることです。しかし,少し不安になるほどに静寂の空間は続きます。

そうこうしているうちに,スクリーンに文字が映し出されます。「だれもいない だれかがいた」とひらがなとカタカナで構成されたメッセージに続いて,「わたしは むせきにんな ひとごろし」というドキッとする文字列が現れます。そこにある日常ではなく,何か狂気の世界,別世界がこの後描かれるのではないかと予感させながら,再び物語は役者さんのやりとりに委ねられます。

ところが,メッセージが提示されている間も,それこそ役者さんが1人登場しても,ひたすら静寂が続くのです。後ろに座っている観客の息づかいが聞こえてくるレベルの静寂が続いていまして,何かただものではない雰囲気を醸し出しています*2

そうこうしながら,ようやく役者さん達は語り出します。ただし,会話は盛んに行われると言うよりは,かなり素っ気なく,短く断片的なやりとりが続きます。それだけではありません。目線はお互いに合わず,話題もかみ合わず,共感も反抗もそこには存在しないようなのれんに腕押しのメッセージのやりとりが続きます。お父さんはかなりまともなのですが,娘の方は魂が抜けたかのような無力さが出ています。何か険悪そうなムードがプンプンしてくるのですが,まだその原因は舞台上では明らかになりません。

愛弓(あゆみ)という女性が舞台に登場します。ドアからチャイムを鳴らして家に入ってきて,一見まともに挨拶をして,やりとりの言葉自体は普通なのですが,目が合わないどころか,文字通り体も斜めに構えていて,話し方も尋常ではないのです。簡単に言えば,日常的なコミュニケーションでこの方法でやりとりしようとしたら,5秒も経たないうちに何かあったのかと心配されるレベルです。それでも,どうやら直樹という恋人と死別したようなことが分かり,徐々に情報が提示されていきます。そうこうしているうちに,しおりさんとお父さん(喜由)の前にある仏壇に手を合わせ,強烈な別れの挨拶をしてシーンは切り替わります。

新たな男性が登場します。この男性は直樹といい,先ほど仏壇に手を合わせられた側の人間です。先ほどが春のシーンで,ここがクリスマスの日だということから,このシーンは過去のシーンです。このように,この物語は時間を戻りながら展開されます。

直樹は「お母さん」という言葉をしきりに繰り返し,恋人である愛弓からのアプローチにまるで応えません。良くこれで恋人と言えるなと思うくらいです。愛弓が気を利かせてクリスマスケーキを切ろうと台所へ向かった隙に,喜由と直樹は2人になり,家族の会話を始めるのですが,その間も直樹はスマホソーシャルゲームに興じながら返事をしています。クリスマスケーキを直樹のために切ってきた愛弓にも,お母さんの分はあるか,なければ俺の分をお供えして欲しいと言う始末。どこか上の空です。

齋藤さんと呼ばれる人物が登場します。お父さんの知り合いのようです。気さくで饒舌な人物で,あっという間に酒屋の息子で,クリスマスの挨拶でワインをもってきたと言うことが情報として伝わってきます。そう,ここまでそれぞれの登場人物の背景情報は少しずつしか提示されてこなかったので,思わず「あっという間」という言葉を使いたくなるくらい,対比関係がありました。その後,二人きりになりながらも愛弓と直樹は,クリスマスとは思えないほどのぎこちない会話を続け,とうとう一緒になることなく,愛弓を気まずく部屋から追い出すような格好でその夜は終わります。直樹はそのすぐ後に自害します。

シーンが切り替わり,「お母さん」の49日法要の日,時間が遡るので直樹は当然生きています。瞭子と呼ばれる人物が登場します。フライヤーに列挙されている役者さんは5人でしたから,これで全ての役者さんが登場したことになります。

このシーンで,しおりに瞭子はしつこいほどに正論をぶつけ,定職に就いた方がよいことを説きます。最初しおりは椅子に座っているのですが,椅子にもたれかかる体が徐々に重力に引きずられて滑り落ちていき,最後は椅子の座面に頭が来るほどになっていました。瞭子の正論をかわしたかのように見えるしおりは相当気にしていたのだなと,思わず感情移入していました。

この後,瞭子は喜由に向かって齋藤が止めようとするにもかかわらず,5年も蒸発していたことを謝れ,誠意を見せろと親族代表としてつかみかかっていきます。確かに葬式になってノコノコと出てきたのですから,多少なりとも言いたいことはあるのでしょう。その正論のぶつけ方は,まるでTwitterで議論の種となるTweetに,正論の看板を振りかざしながら向かってくる的外れなリプライの連投のような印象すら持ちました。

物語は,この後少しずつ時間を戻しながら,欠けていた情報を一つ一つ当てはめていきます。なぜ直樹は自害するほどまでにお母さんを思っていたのか,なぜ喜由は失踪したのか,なぜお母さんは亡くなったのか,劇場でぜひ確認して頂きたいのですが,情報が補完されていけば行くほど,あれほどに奇妙,奇っ怪とも思えたどこか遠い世界のコミュニケーションは,別世界の話では全くなく,今自分の側にも存在する身近なやりとりであるかのように感じていました。

ふと,リアリティと言う言葉が頭に浮かびます。リアリティという言葉はリアルではない,虚構であることを強調する言葉です。確かに普通のお芝居のお約束とかリミッターを想定すれば,あり得ないほどの感情の振り幅のやりとりが展開されていました。でもそういうものを取り去ってしまって見つめてみれば,虚構でありながらもすぐ隣で起きうる世界がそこには存在していたのです。特に時間軸では一番最初に当たるシーンでは,綺麗事では語れないどうしようもなさが山積していて,それを目撃した私は他人事ではいられない怖さすら感じました。

公演後のアフタートークでは,代表の本間さんから,役者さんには「モノローグ」をやるかのように,目の前の人にではなく,200m先の人間に伝えるかのように,演じて欲しいとリクエストしたとの話がありました。そして,これは「家の走馬燈」であるとの話も出されました。なるほどと思いました。鳥公園の西尾佳織さんからは,しんどい90分という話がありました。確かに迫ってくる情報や文脈の重さは2時間越えのお芝居に匹敵するほどでした。それでも,ただ情報量の多さに圧倒されるだけでなく,ストーリーの内容をあれこれ書いて,ここはこうだったのかと考えたくなる,持ち帰る材料がたくさんあるお芝居です。そしてそれを表現する方法も斬新かつリアリティを持つというフライヤーのメッセージがピッタリ当てはまり,強い印象として私の記憶に残りました。演劇の引き出しはまだまだこんなに色々なものがあると,突きつけられたような気がします。

色々不思議なご縁で目撃できた今回の公演ですが,見届けることが出来たのは何よりの幸運でした。このようなお芝居に立ち会えて嬉しい限りです。ドキドキぼーいず#06「じゅんすいなカタチ」は,東京・せんがわ劇場で3月13日(日)まで公演中です。

dokibo.web.fc2.com

 

*1:構成台本によれば犬のリードだそうです

*2:今考えると,これが時間軸としては一番最新である家の終(つい)であり,静寂こそが最もふさわしい鎮魂歌であったのだと思います。