【観劇ログ】富山のはるか「フランケンシュタイン」
どうも。イマイです。
良い天気が続いていてお出かけ日和です。観光地とかに行く元気はないので,今日も劇場へと向かいます。今日はお誘い頂いたので,2月に拝見した富山のはるかさんの最新作「フランケンシュタイン」を観に参りました。
librarius-theater.hatenablog.com
今日の劇場は,神奈川県立青少年センター2階にあるスタジオ,HIKARIです。神奈川県立青少年センターというと,神奈川県の中学校や高等学校で演劇部をやっていた人間であれば,一度は来たことのある場所でして,昔の記憶が色々蘇ってきます。どちらかというと,嬉しい記憶と言うよりは,ごめんなさいという記憶の方が多いですが…。
2階には演劇資料室もあって,私が高校時代に参加したイベントのプログラムもちゃんと残っていました。とても大切な取り組みだと思います。さて,そんなこんなに思いを馳せているうちに,開場時間と相成りました。
(トップページからご覧の方は「続きを読む」リンクをタップしてください)
1.開演前
受付を済ませて,会場に入ると,床が黒い大きなスタジオが目の前にありました。客席の配置はスタジオHIKARIの客席配置例その2に近く,前の3列分がセットされて50~60人が座れる設定になっていました。
舞台監督のヒガシナオキさんが場内誘導をされていまして,導かれるまま,私は一番前の列に座りました。
客席の後方が照明や音響のオペレーションのためのスペースになっているので,全体的に細長い四角の空間になっており,横長の舞台に客席が対面しています。
舞台後方は公演フライヤーとおなじような布の切り張りがされた背景です。上手と下手に薄型のテレビが一台ずつ,リボンや手芸用品で装飾された白い箱の上に乗っています。薄い半透明のカーテンが上手と下手端の上から下がっていました。
上手には女性が座ってミシンをかけている。下手には男性が座ってミシンをかけている。開場中に入れ替わり立ち替わり,人がやってきてミシン役を替わっています。
開演アナウンスが2回流れ,いよいよ開演です。
千穐楽は既に終わっていますが,ネタバレ防止のためにいつもの改行連打をします。
2.あらすじと物語の流れ
物語のあらすじは下記の通りです。
北極探検に出たロバート・ウォルトンは夢の実現をあと一歩のところまでにしていた。
そんな折、遠くの北の大地で、1人の男と出会う。
男の名はヴィクター・フランケンシュタイン。才学非凡で謎多きヴィクターに興味を抱いていくロバート。そんな彼にヴィクターも段々と心の氷を溶かし、ついに彼は自分の過去、自身の罪を話し始める。(http://www.pref.kanagawa.jp/docs/yi4/theatre/2019/toyamanoharuka.html より引用)
富山のはるかは前作サロメで,元からある作品の再構築を行っていました。本作の当日パンフレットにも以下のように記載があります。
「フランケンシュタイン」においての“お別れ”を抽出し,日本カルチャー影響下にある若い集団にて「フランケンシュタイン」を再構築する。
再構築なので,元々の物語を頭に入れておいた方が理解がしやすいかなと思い,今回は元々の小説「フランケンシュタイン」のあらすじを予習していきました。名前はよく知っているのですが,元の小説は未見だったことがあらすじを予習する中で分かってきました。私がフランケンシュタインだと認識していた怪物には名前がなく,フランケンシュタインは博士の名前だったのです。
その程度で驚きながら,予習を軽くしておきました。結果からいうとどちらでも良かったのだと思うのですが,私に取っては予習の成果がバッチリ出た気がしております。
フランケンシュタイン。昨日無事に初日あけまして本日2日目。今日も19:00からやります。そして、終演後には大人計画の篠原悠伸さんを迎えて、主宰の松尾さんと出演の笹野さんとの同期3人トークも行われます。お席もまだ余裕ございますのでぜひよろしくお願いいたします!
— 富山のはるか (@haruka_toyama) May 17, 2019
撮影:三浦雨林(@af_3ura) pic.twitter.com/qLEVD5z49G
この作品は公式Twitterでいろいろどういう様子で構築されているのかが公開されているのですが,
映像も進行しております。
— 富山のはるか (@haruka_toyama) April 22, 2019
ワタナベカズキ(@watanabe_kazuki)さんに今回参加頂いております。
殺す気でカッコイイモノになる、との事です
「フランケンシュタイン」
5/16-19 桜木町https://t.co/fg8vsjpXW2 pic.twitter.com/SojSQw2PHi
セリフもダンスも映像もプロジェクションマッピングも,スマートフォンのムービー機能も全部投入した感じのある盛りだくさんの作品です。
開演直後,下手から役者が1人,また1人と登場してきます。白いTシャツやブラウスに白いネットをつけた役者さんが何かしらのマイムをして,何かしらの言葉を発してまた上手へと退場していきます。徐々に間隔が狭くなり,先ほどまでミシンを動かしていた上手と下手の2人も誰かと入れ替わりながら,舞台上に動きが出ていきます。
そして,男性が一人舞台の中央へ。ピンスポットがあたり,少しはにかみつつも,ゆっくりとセリフを語り始めます。去年の秋,バイトが終わって家に帰っていたら,父親が自殺していたのだと。余りに非現実的なので,冷凍庫のハーゲンダッツを食べようとして,アイスに付いた霜に手が触れたときに,ようやく冷静になって救急車を呼んだと話していきます。自分の身に起きたことにもかかわらず,どこか冷静で達観したところも見受けられます。母親に病院で電話をかけたところ,運悪く母親は遊園地で友達と遊んでいてお土産をどうするのかということを相談する始末だったようで,男は母親に対して言えないような罵声を浴びせたと振り返ります。
フランケンシュタインの原作の翻訳は,青空文庫で公開されているので,そちらから観ることができますが,当然のごとくハーゲンダッツも,バイトも出てきません。
この後も,概念的なシーンが次々と現れていきます(メモを取りながら観ているわけではないので,もし順番や記載に誤りがあった場合にはお詫びいたします)。
- カップルが現れ,人生最後の日には何が食べたいと言い合うシーン。
- 足だけ,頭だけ,お腹だけ,腕だけと話す女性が次々と現れ,最後に現れたぐったりとした男性に,女性から外したネットをつけていき,4つが集まった後に,男性がぎこちなく動き出す(=怪物の誕生?)シーン。
- 猫を飼っていた兄弟と祖母の話,猫が失踪し,祖母がいなくなって他人の家で見つかったことをためらいがちに女性が語るシーン。
- ダンス映像に合わせて女性が二人踊るシーン。
- 赤い糸にがんじがらめにされた女性たちと,中央に繋がれた男性。女性の一言自己紹介に合わせて,納得したり納得しなかったりして,ハサミでその赤い糸を次々と切っていくシーン。
- メジャーで身体を測りながら,適合しているかどうかを調べ,適合している人間には食料を配給し,ダメな人間には暴力を加える状態をビデオカメラで写すシーン(上手下手のテレビにカメラの映像が映ります。不適合の場合には×印が付きます)。
- ニューヨークの銃乱射事件を題材に,あれこれ話すカップル。女性は感情移入し,男性は軽薄にやり過ごそうとする(=「映画は長いから苦手だよ」など)会話。
- 彼女からのTV電話が一方的にモニタに映るシーン。電話は1回ではなく,2回,3回と同じシーンが繰り返されます。
- 原作を想起させる,南極へ向かおうとするものの独白。「死にたい」,「死ねない」というセリフが繰り返される舞台。
- 渋谷の映像が背景に踊る人々,閉められたカーテンの前でうつむきながら,ワイヤレスヘッドフォンをつけている女性。
- 冒頭の父親が自殺した家庭で,失語症となった母親を必死に支える姉。夢も希望も全部捨てた彼女の前で,母親が言葉を取り戻すも,母親がかけた言葉はあまりに無神経で,そして仕事先のこれまた無神経な電話もあって,彼女は母親を撲殺してしまう。
- つなぎ合わせたたくさんの衣服を着た男性が,下手から上手へと練り歩く。最初は実体として,次は背景に映し出される映像として,そして最後はモニタの中だけの存在として。
3.感想
- 私がこの作品を観劇して真っ先に思ったのは,当日パンフレットにあった再構築という言葉でした。それも,1990年でも2000年でもなく,2019年の地点から切り取った世界でした。前回のサロメでも申しあげましたが,原作を想起させるワンシーンがパラフレーズできない重要さを強調しているようにも見え,それ以外のシーンは19世紀と21世紀との間にある前提条件の違いから生まれる断絶のようなものをそのまま現しているのではないかと感じました。
- 生活の他の場面ではたくさん遭遇するのに、演劇では新鮮に見える表現がたくさんあって、現在に立脚しているのが心地よく感じました。
- 個人的にはワイヤレスヘッドフォンをつけながら,下をうつむきながら女性が踊っているシーンがいかにも現在であって(ワイヤー付きのイヤホンでもなく,元気はつらつでもなく,それでいて音楽に流されている感じが凄く)印象的でした。
- 赤い糸をたった一言でプッツンプッツン切っていくあたりは、情報量に飲み込まれて、選択する余裕がない現在の日本を象徴しているようにも思えました。
私自身,今の仕事の関係で20代の人たちとやりとりすることがあります。彼や彼女たちの中には,一見するとオープンなようで,でもためらいがちで,それでいて重大なことは心開くまで決して話さないという性質をもった人がいます。その私の印象と合致するところがあって,妙に頷きながら観ておりました。
一言でこの作品を語ることはとても難しいのですが,フランケンシュタインの原作で死ねなかったのは「怪物」で,「怪物」にあらゆるものが殺されていくのですが,本作では,死ねなかったのは「現在の人間」で,あらゆるものを捨てていくのもまた「現在の人間」なのかなと感じました。
考えれば考えるほどドツボにハマって,的外れになりそうですが,ひとまず現時点での私の考察をまとめます。こんな風に色々考察できる富山のはるかさんは,またスケジュールが合えば,ぜひ拝見したい団体です。