【観劇ログ】富山のはるか「SALOME」
どうも。イマイです。
1月にあまり観に行けなかった反動で,2月はこれでフェイクシンポジウムを入れて3作目の観劇です。今回は玉一祐樹美さんのお誘いで,横浜のギャルリーパリという普段は美術品のギャラリーとして使われている場所での演劇を観に参りました。
実は地元なのですが,初訪問の場所でした。外観がモダンでこの中で何が行われるかを考えるだけでなんだかワクワクしてきます。
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1.開演前
開演45分前ほどに会場に到着し,入り口を観るとこんな感じ,ホテルのロビーのような高級感が出ています。ドアの向こう側では,ギターをかき鳴らす音や,役者さんたちのウォーミングアップの声が聞こえてきます。
その聞こえてくる声に耳をそばだてつつ,開場時間を待ちます。時間になると,上の写真のドアが開かれ,すぐ受付となります。ドアを開けてくださったのは,劇団フェリーちゃんの公演でお馴染みのヒガシナオキさんでした。キャスト表で既にご出演を存じているとは言え,少し驚いたのはナイショです。
さてギャルリーパリのWebにスペースの概要図が出ていたので,それを引用しつつ場内を説明してみたいと思います。
エントランスの側(上の図で言うとエントランスのすぐ下)にテーブルが置かれており,受付になっています。ドア正面でのテーブルで受付を済ませ,ギャラリーエリアに入ると,366と書かれている壁のほぼ向こう側が客席と音響・照明席が,図で言うと左方向に向かって設置されていました。
当日パンフの置かれている席に着席して,パンフを見ると本作の元となったオスカー・ワイルドの「サロメ」のあらすじが書かれていました。とりあえず到着前に,軽く予習はしたのですが*1,もう一度全体を読み進めていきます。
だいたいあらすじに目を通した後,前方に目を向けると,場内誘導の方に何か見覚えが・・・。間違いのないようにキャスト表と私の過去ブログを見返して,劇団フェリーちゃんの「マクダバ・タリーク」でナキ役として出演されていた川村玲於奈さんだったことに気がつきました。確認が取れたので,場内誘導のさなかでしたがお声がけしてみるというミーハーっぷりを発揮します。どうみても私にとって得な公演なのでは?と勝手にテンションを上げて喜んでいました。
さて,そんなことを済ませた上で周りを見回すと,シンプルなギャラリーの中にいくつかのものが置かれていることに気がつきます。
- フロア上手と下手に2つずつ,合計4つのLEDのパーライトが壁に沿っておかれています。ライトは上側を向いていて,ビニールがかぶせられ,その上に水が入った水槽が乗せられています。パーライトの直進する光が水槽の水で拡散して,柔らかい光を映し出しています。
- パーライトとパーライトの間には水槽がもう1つずつ置かれています。
- 舞台後方には月を模した絵柄が照らされていました。
- 天井の4つのレールからは3つの小さなスポットが青白く光っている。
- 舞台中央には青いクーラーボックスが置かれています。
- 天井からはテグスで吊らされた三つのペーパークリップがありました。
後から考えると,この全てがちゃんと伏線になっていて(この全てを使う仕掛けになっていて),きちんとメモっておいて良かったなとホッとしています。
さて千穐楽はまだですので,ネタバレ防止の改行連打をしておきます。
2.あらすじ+物語概要
公式Webページのところに記載されているあらすじはとてもシンプルです。
My name is Salome.
I want to kiss you.
But you won’t kiss me.
Why? The Moon tonight is so beautiful.
My name is Salome.
I want to kiss you.
開演後,白いレインコートを着用した女優さんが登場し,上記のあらすじにある英語をたどたどしく一語ずつ話します。背景の白い壁には英語と中国語で字幕が出ており,多言語対応が図られているのに気がついて思わずおおっとなりました。
ちょうどキャストの大西彩瑛さんがそのシーンの写真をTweetしてくださっているので,そちらも参考にして頂くとイメージがつけやすいかもしれません。
富山のはるか『サロメ』雪が心配な中、無事に初日を迎えられました。ご来場頂き本当にありがとうございました。
— おおにしさえ (@saetemasu) February 9, 2019
残り7ステージ。反省を活かし、毎度集中を切らさずに最後まで駆け抜けます。
明日は14:00と18:00の2ステージ。宜しくお願い致します! pic.twitter.com/216oi9lu7W
この女優さんがサロメなのか・・・と思っていたら,また異なる女優さんが同じように私がサロメであると一語ずつ発していきます。?が連続していく中,突如白い壁にプロジェクターで絵が投影されていきます。
こちらもちょうどキャストの大倉麻月さんのTweetにそのシーンのイメージがUPされていますので,静かなシーンだと思ったら突如このシーンになったと思って頂けるとわかりやすいかと思います。?がまたたくさんこの場で生まれました。
富山のはるか
— 大蔵麻月 (@okuramazuki) February 8, 2019
サロメ💋
明日から2/13まで💄 pic.twitter.com/T6fiU76QXL
そして,口々にどのキャストも私がサロメであることを主張していきます。しかし,言い終わらないうちに,他のキャストに妨害されて言い切ることができません。ようやく言い終わったキャラが出たところで,シーンは一段落。
なるほど,短い単語でつなげていく作品なのかなと予想して身構えていたところ,また良い感じでこの予想が裏切られます。次のシーンでは,舞台の一部にマットが敷かれ,あの壁際に置かれていた6つの水槽を1キャスト1つずつ持ち,突如顔を水につけるではありませんか。よく80年代から90年代のバラエティ番組で見た光景です。
セリフの割り振りがやってくると,水から顔を上げてセリフを言える(=水から離れられる)という設定のようで,最初は短いセリフで全キャストが入れ替わりながら息継ぎならぬ,セリフのやりとりを成立させていくのですが,だんだんと長尺のセリフが混じってきたり,セリフを言い間違えることで1人あたりの所要時間が延びる(=我慢しなければいけない時間が増える)というネタが混じってきて,素なのか演技なのか分からないカオス空間がその場に展開します。
セリフのやり取りはサロメの情景描写,あらすじの冒頭部分が描かれているのですが,目の前の水槽顔つけ我慢大会がインパクトがありすぎて,そちらに注意を奪われていきます。?の数はますます増えていきますが,もしかしてこれはモチーフを軸に展開している何かなのかと,?とともに,色々頭の中で考察が始まっていきました。その後も,王宮を示すような舞台セットや言い回しはほとんど現れず,むしろその作品の一部を切り出して,別の表現に置き換えたようなシーンが続いていきます。
- 女性どうしが口紅を塗るところに,男性が登場して口紅を塗ってもらう。キスを要求した男性に女性が拒否し,男性は拳銃自殺するシーン
- 男性が神の存在を演説しているところへ,ひたすら男性の色が白いことなど容姿のことを発言しまくって,妨害しまくる女性のシーン
- 幽霊となった男性がギターで弾き語る。曲名は確か「抜殻」。
- 藁人形を壁に五寸釘で打ち付ける中,背景にはカウントアップで数字を数える声。しかし22を飛ばしたりして,番号が飛び飛びになっているシーン。
- 演劇が絶滅した未来,運送会社が火星から地球へ水星の石を持ち帰る中,「サロメ」を読んでいた社長の周辺の時空がゆがみ,船長が別人と入れ替わったり,時間感覚がおかしくなるシーン。
- 天井から吊り下げられたペーパークリップに白い布をつるして,後ろからライトを当てることでキャストが影絵のように映し出す効果を利用し,女優さんのヴェールが段々と脱がされていくダンスが披露されるシーン。
- エロド王がサロメの願いを叶えるべく,望むものを与えようとする中で行ったであろうプレゼンをフリップ芸で現すシーン。
- そしてその直後に全員で踊る日本伝統の音頭。
- 中央のクーラーボックスから銀色の使い捨て皿に載せられた氷を取り出して,両手で持ちながら,ヨカナーンへの愛を長尺のセリフで語りつつ,最後には口づけし絶命するシーン。
(以上記憶だけに頼って記載したので,もし間違っているシーンがあればツッコミをよろしくお願いいたします。)
3.感想
- サロメの脚本を大胆に再構成しているとの触れ込みの通り、印象とかけらが提示されていきます。この作品を題材として、こんな表現の仕方もあるのかと驚きながら、締めるところはきっちり締めていて全く飽きずに最後まで観ておりました。
- お誘いいただいた玉一さんは縦横無尽に活躍されてましたし、劇団フェリーちゃんでおなじみのヒガシナオキさんは難しい息継ぎ(リアルに息継ぎです)が必要なシーンを息抜きを入れつつ、きちんと成立させていらっしゃいました。
- この作品は役者さんが試される難しい作品だと思いました。(ラストの氷の塊を両手で載せながら,長尺のセリフを言うところも簡単そうで,この2月ではかなり厳しいシーンだと思います。)ただ観客として,その現場を目撃できるのはとても幸運だと思いました。
- ?が蓄積したと記載しましたが,色々考察しがいのある作品だなと思います。例えば今,ブログを書いていて気がついたのですが,ちょうど,客席に置かれていた「サロメのあらすじ」とほぼ対応しています。何ならば,あらすじの一部分のフレーズにアンダーラインを引いて,この部分を印象的に表現してとオーダーされて紡がれた作品ではないかと思ったほどです。
- たぶん古典作品のサロメをそのまま観たとすれば,おそらく多少の疲れが残るような作品(もちろん演出次第でしょうが)だと思うのですが,本作は全くそんなことも感じず,凄く分かりやすく観ることができました。
さて帰宅中,あのシーンたちは次のうちのどちらだったのだろうかと考え続けていました。
- あのシーンは,古典作品としてのサロメを自分が仮に観ていたとして,その時に思わず思い浮かんでしまった別のイメージなのではないか。例えば紀元1世紀のパレスティナに音頭はないでしょうし,ギターの弾き語りもありません。ただ古典作品に限らず演劇を観ていていると,ついつい連想して別の何かを思い浮かべてしまうことがあります。この作品はそういう本筋ではなく,観客が思わず思い浮かべてしまった何かをわざと提示して,並べたのではないかというのが第一案です。
- 第二案は,サロメという作品を難解なものとして仮定した上で,前提知識が全くない人に対して,現代の文脈のみでわざとパラフレーズ(いわゆる言い換え)したものを提示しているのではないかというものです。私も教育の現場で,難しい概念を世俗的な表現とか,全く違う文脈のもので簡単に言い換えることを頻繁に行っています。それは前提知識や条件のない中でそもそも難解な用語はそのまま伝えても伝わらないため,理解を促すためわざと言い換えています。第二案は本作ではそうしたパラフレーズを元に戻さずそのまま提示しているのではないかという考えです。
これ以外にも,もちろん解釈があるのでしょうが,私の中ではこの2案が今のところ有力であります。
さて,そのどちらであっても,ラストシーンの長尺のセリフと氷を使った口づけは,それまでのシーンとは一変してサロメの作品や世界観に合致したシーンになっています。終演後キャストさんと話している中で,このシーンはそのままだということが分かったのですが,これは2案のどちらであっても解釈できる余地がありました。
第1案であれば,どんなに別の連想をしていたところでも,物語の核心クライマックスというのは,よそ見を許容しない魅力があるのだというメッセージと考えられます。第2案であれば,いくらパラフレーズしても言い換えられない表現があるのだというメッセージになるかなと思いました。ちょうど哲学者サイードと指揮者バレンボイムの対談「Parallels & Paradoxes」(「音楽と社会」みすず書房)で,バレンボイムが発した次のようなメッセージに近いのかなと思いました*2。
僕は、スローガンや、テレビ言語に対して、はっきりと哲学的な批判を持っている。そういうものは、内容と時間の関係を考慮していないからだ。つまり、ある一定の内容には、一定の長さの時間が必要であり、それを圧縮したり、短縮したりすることはできないのだ。それはまるで、「ベートーヴェンの楽譜のエッセンスを、二分間で教えてくれ」と要求するようなものだ。
ついつい,長くなってしまいました。これだけ色々な考察をすることを許してくれるくらい,この作品には多くの余白が残されています。古典作品を題材にしても,これほどまでに表現を多様にすることができるのだということを教えてもらえた1日でした。こういう自分の考えを色々柔軟にできるのも,また観劇の楽しみなのかなと思います。