リブラリウスと趣味の記録

観劇とかパフォーマンスとかの鑑賞記録を淡々と。本務の仕事とか研究にご興味ある方は本家ブログまで( http://librarius.hatenablog.com/ )

【観劇ログ】cineman:J.CLIP「終のすみか」

どうも。イマイです。
お芝居の内容が自分の人生とリンクしたりすると不思議な縁を感じたりします。
本日は出演者の玉一さんにお誘い頂き,千歳船橋のAPOCシアターまでやって参りました。小田急線の下北沢駅からも電車一本で来られる所ながら,初めて伺う劇場なのでわくわくしております。

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劇場はカフェの二階部分となっていて,1階はおしゃれなカフェになっています。さりげなくJRの座席だったシートが備えられていたり,お手洗いに向かう際にもオブジェが備えられていたりして,居心地の良い空間です。

二階に上がると,三角形の空間が現れます。舞台を客席が挟む形で設置されています。居間と軒先から見える庭が一続きになっていて,居間と庭先の二カ所で物語が展開していくようです。入り口から向かって右側の2列目真ん中に腰掛けます。シートは分厚いクッションが備えられていて長時間の観劇にも易しい設計でした。

では,千穐楽前ですので,恒例のネタバレ防止の改行連打をいたします。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あらすじは下記の通りです。
もううまくやれなくなってしまったこの世界で あえての、今さらながらの、「家族」についてのものがたり。 家族とか忘れちゃった、っていうか、それ的なしあわせなんて知らなかった、 もはやいけすかなくなってしまった僕たちの、 ごまかしで、後戻りとか無理無理で、ふしだらで、絶望で、寸づまりの、 「すみか」なんて鼻で笑っちゃう、ものがたり。 こんにちはも、ありがとうも、さようならもない、 いきつくところの、普通の普通のものがたり―。

ジャンキーチェンの古いポスターが貼られたままの時間が止まったボロ家。ここに10年以上も家を離れていた息子とその仲間の男性と女性がやってくる所から話が始まります。どことなく不自然でもありがちな会話を交わしていく中で,この3人の関係が分かってきます。息子と女性は東北の震災ボランティアで知り合った仲で,女性のおなかの中には赤ちゃんがいます。3人は行き場をなくし埼玉の郊外,駅前にコンビニすらない寂れた町にある息子の実家に帰ってきたのです。

少しずつ舞台上には新しい登場人物が現れ,会話を交わしていきます。本来なら,懐かしくて楽しそうに会話するはずの再会も,よそよそしかったり片方が片方の会話について行けなかったり,この家で流れてしまった時間の長さを感じさせます。

そうした長い時間でかき消されてしまった関係の中,どことなく滑稽に展開される噛み合わない会話のやりとりが続き,実家の主である父親が登場します。1年前に料理人を首になって,糸の切れた風船のように息子と会話する父親。でも,なんだか目の焦点が合わず,会話も周りの登場人物以上に噛み合っていません。そのうち,父親は若年性痴呆症と診断されます。

物語はこの父親の痴呆症を中心にしつつ,展開していきます。何度も離婚を繰り返し,決して家族を大切にしていたとはいえない父親,妻として我慢し続けてきたがとうとう自分を偽れなくなった女性,堕胎を繰り返し子どもが産めなくなっても家族の団らんに憧れてそれに手を伸ばそうとする連れ合い,周囲を否定することでしか存在意義を作り出せない幼なじみ,それぞれの登場人物がそれぞれに抱えている心の重い荷物に焦点が当たっていきます。場面場面での独白や叫びや慟哭は,それらの荷物が共感とか理解してくれただけでは到底降ろすことのできない荷物なのだと気づかせてくれます。

終演後には感じたのは明らかに破綻し修復不可能なほどにこんがらがった紐が時間やきっかけで解けていく嬉しさと,それと同時に痕が残ってしまい戻らないものがある悲しさの両方でした。

私も親類を亡くした経験があります。最後は呆けてしまって私のことが分からなくなった親類を目の当たりにしたこともあります。だからこそ,あのぎこちないやりとりは凄くリアリティももって迫ってきました。表面を取り繕って言葉をあわせても,どうにもならない関係は確かにあるのです。

父親が手を伸ばして届かなかった暖かさは確かにありました。でもその暖かさの詳細を父親が認識できなかったときに,それは果たして幸せだったのでしょうか。こんな風に,もう元に戻すことの叶わない家や家族が細かく描かれ,そして登場人物たちが前へ動かなければと思いながら動けないでいる,もどかしさも細かく表現されていました。最後,気がつけば感情を動かされ涙が出ていました。

玉一さんのからまわりえっちゃんやマンガタリで拝見したときのおどけた感じ以外の抑えたシリアスな演技や関西弁が心地よく耳に入ってきます。途中大阪に帰るという言葉が何度も交わされ,母親が絶縁状態で帰れないとの設定が出てきます。 東北への長期ボランティアに関わっていたのだから,大阪に向かうなど造作もないはずなのですが,それでも主人公たちが大阪へと向かわないのは,心理的な距離の遠さだけではなく,前に踏み出せない主人公たちの象徴でもあるのかなとも感じた次第です。

小さな劇場で展開される,あり得ないと思いながらもどこかに存在しているようにも思える家族のやりとりは,自分の人生経験とも重なってズッシリと心に残る物語になっていました。

(観劇予定が詰まっているのと,本業がマジで立て込んでいるので,ショートバージョンでお届けしておりますが,ズシリとくる重みのあるお芝居でした。面白かったです。また時間があったら追記したいと思います)