リブラリウスと趣味の記録

観劇とかパフォーマンスとかの鑑賞記録を淡々と。本務の仕事とか研究にご興味ある方は本家ブログまで( http://librarius.hatenablog.com/ )

【観劇ログ】劇団しようよ「こっちを向いて、みどり」

ども。イマイです。

仕事で京都に来ています。昔修学旅行で来たときには,大人になったら滅多に来ないのだろうなと予想していたのですが,半年に1回ペースでは来ています。所詮子供の考えることだなと思います。

さて,本日は京都に2016年1月に新しくできた劇場,ロームシアター京都へやってきました。京都は左京区岡崎の平安神宮のそば,蔦谷書店をはじめとしておしゃれな雰囲気を醸し出す一角にロームシアター京都はあります。

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さすが観光スポットとありまして,色々目移りしてしまいます。開演前にどこか寄りたいなとのアイディアが頭をよぎりますが,なかなか観光ガイドを開こうという気にもなりません。そんな中,今回拝見する劇団しようよさんは,岡崎の観光ガイドを公演案内と共に作成しています。

http://www.gkd-444.com/next/rohm-ti/

http://www.gkd-444.com/next/rohm-ti2/

そんな中選んだのは,こちら。京都国立近代美術館ポール・スミス展です。こちらも大変楽しくキューバの映画ポスター展と合わせて図録を買い求めるほどの面白さだったのですが,あくまで観劇ログなので,この辺は省略。 

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ロームシアター京都はメインホール,サウスホール,ノースホールの3つがあり,今回の劇団しようよさんの公演はノースホールの地下2階で行われる公演です。

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流石にオープンしたてということで,劇場のあちこちがキレイでした。B2に向かう扉の横にはこのようなディスプレイが置かれており,これだけでも気分が高まってきます。

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時計をみると,6月25日(土)の11:15。開場の時間です。B2に下りて受付を済ませることにしましょう。(トップページからお越しの方は「続きを読む」をクリックしてください)

 受付を済ませて会場に入ると,客席が階段状の台に4列に組まれ,後ろにはビデオカメラが4台以上。今日はどうやら撮影日のようです。どこに座るか迷う方もいるかと思いますが私の場合,劇団しようよさんは最前列に座ると決めているので,さっさと真ん中あたりの席を確保いたしました。

舞台はホールの床は黒い板,つまりほぼ素舞台の状態です。ただし,何らセットが組まれていないわけではなく,天井から配管に使うビニールパイプが宙に浮くように吊られていて,下手側に4本,上手側に4本と,合計8本が吊られています。下手側は十字,上手側は少し十字からは形を崩した配置となっています。それから,下手の袖に近いところにスタンドマイクが1本置かれています。

開演は5分押し。確かにぎりぎりに来ると,あの入り口は分かりにくくて焦るだろうなと思っていると,代表の大原さんが登場し,開演前の注意を説明し,少し薄暗くなって,役者さんが登場してきます。いよいよ開演です。

まだ千穐楽前ですので,本編については,ネタバレよけのおまじないとして改行を連打しておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大切な事は全部,ふとんの中から始まった。

忙しい日も,休みの日も,愛も,憎しみも。命も,夢も。

劇団しようよ,開館まもないロームシアター京都に登場!愛の発掘と,膨張と,枯渇の物語。

開演直後は,カップルが新しく借りた家を見て回るシーンから。「間取り間取り間取り」といった言葉遊びのようなやりとりから始まり,新しい生活に対する期待が語られます。およそ全ての部屋やベランダを見て回り,全員が床に仰向けで寝ます。「でも,毎日,まったく違う日は始まっているのですよ」との言葉でこのシーンは終わります*1

シーンは切り替わり,スタンドマイクの前に神岡和馬が立ちます。父親の思い出を語りながら,父親のことがよくわかりません,自分のこともよくわからないのにと語ります。このように,登場人物はスタンドマイクの前に立ちながら,独り言をいうかのように自分語りをしていきます。

ここで,現場検証を行っている警察関係者のような出で立ちをしたつば付きの帽子にマスクをかぶった複数人が登場,床にビニールパイプの配管をくみ上げていきます。こうすることで,舞台上では部屋の境界線が現れていきます。ここで刑事の城崎が登場し,死傷者32名を出したホテルグリーン・グリーンの火災について捜査を始めます。

この捜査を通じて判明する数々の事実から,事件の後に失踪した高校教師である神岡和重の全容を明らかにされる形で,物語は展開されていきます。一種のサスペンスとでもいう感じでしょうか。

ホテルでの捜査が終わると,今度は和重の自宅に場面は移ります。この演目の多くのシーンは和重の自宅で展開されます。妻の朱理が息子の和重にご飯を食べるように促しますが,沈黙や言葉の行き違いが多く生じ,気まずいシーンになります。和重は失踪して四日間,学校にも顔を出さず,当然のごとく家族にも連絡一つ行っていません。

雨交じりの嵐の中,ガーデニングショップの店長,高倉や同僚の土屋が登場してきます。特に土屋とのやりとりは,心配して訪れた同僚と帰りを待つ妻としては,あまりにもぎこちなく,かつ互いが発信側にしか立たず,受信側がいないようなコミュニケーションを行っていて,その気まずさが強く印象に残っています。

この後,和重の当日の足取りについて様々な情報が明らかになり,サスペンスは解決へと向かうような期待を持たせるのですが,同時にあまりに奇妙な事実が次々と上がってきます。出火元と思われるラブホテルの一室には,和重の荷物だけが残され,遺体の痕跡は何も残っていません。単に部屋を立ち去っただけであるならば犯人として検挙され事件解決となるわけですが,髪の毛や奥歯などただ立ち去っただけでは残されるはずのないものが次々と現れていきます。

かつて教え子だった女性,沢村の荷物もその部屋に残されていて,犯人確定かと思いきや,当日のその時間,沢村は自宅で母親の看病をしていたことが明らかに。果たして出火の原因は…。物語は混迷を強めていきます。

観客の驚愕はこれに留まりません。高倉,最後に飲んでいた鉄板焼き店の松山,和重の教え子である早坂の3人から語られる和重の服装がことごとく異なった服装なのです。教室では毛玉のついたフリースを着てくるような人物で,高倉の元に妻とともに訪れるときにはばっちりとスーツを着用し,鉄板焼き点にはちょいワル親父のような不良っぽい服装で滞在していたとのことです。そう,人によって和重がどのような人物だったのかの評価がバラバラで,かつ同一人物だったのかでさえ怪しくなるような状態なのです。

果たして事件の真相は?和重は家に帰ってくるのか?そもそも和重とはどのような人物だったのか?この結末はぜひ後日発売されるDVD等でご確認いただければと思います。

さて私としては,ラストシーンに向かって次々繰り出される荒唐無稽な展開に翻弄されながらも,この世界は誰かの悪夢なのか,それとも何かのパラノイアなのかと想像を巡らせていました。ラストシーンで妻の朱理が和重に揺り起こされたり,だれか医者が登場して訳知り顔で語りだしたりするのではないかと思い,ラストシーンを待ちました。しかし,そうしたシーンは全く登場しないままでした。

掟破りの反則技だと承知の上で,終演後に代表・演出・脚本の大原渉平さんに「ラストシーンは夢ですか,それとも現実ですか」と直接聞いてしまいました。「現実です。あの外側で起きている事件はさほど重要ではありません。そしてあの中で土屋先生も,他の人も夢だと信じたいけれど,それでも現実なんです。」との言葉をいただきました。

いつもはアフタートークを伺って,さらにヒントをいただいて腑に落ちるということをしているのですが,今回は時間の都合上叶わないので,自分一人で何とかしてみます。

でもあれが現実だとしたら,この物語は相当に複雑で,かつ相当な悲劇なのではないでしょうか。考えてみれば,登場人物の誰一人として和重の全貌を把握していた人物がいないことに気がつきました。

おそらく和重は押しの弱い,それでも場を取り繕って何とかしようとする人物だったのではないかと思います。現実世界で1人4役をこなすような人物だったのではないかと,悪気のない嘘を混ぜながら,良い家族,良い人付き合いをしようとした人物なのではないかと思います。しかし,それが多くのほころびを生み,セックスレスや不倫,鬱,教え子達からの悪意を持ったいたずらという破綻を招いていったのでしょう。

その一方で,和重との恋愛感情を持っていた3人は,それぞれの立場で「自分が一番和重を好きで理解しているのだ」と主張します。その証拠は何かと言えば,「自分が一番理解していることこそが証拠なのだ」と,まるで客観性に欠けたものでしかありません。しかし科学論文ならいざ知らず,人のコミュニケーションに証拠など最初から存在せず,むしろそれを求めることで変容してしまう*2ようなことさえあります。なぜ私たちがコミュニケーションを人と取れるという問いに対して,それは私たちがコミュニケーションを取れるのであるという可能性に賭けている,信じ込んでいるからこそ成立するのだとの見解を目にしたことがあります。

ラストシーンで妻が必死にキッチンに閉じこもり,あの人の好物のロールキャベツを作るのだと述べます。そうした誰の目から見ても誤りにしか見えない脆弱さを持ったコミュニケーションに対し,登場人物が必死に信じてすがりつこうとする様は,私たちの持っている前提を揺さぶるような材料を眼前に提示してくれているような気がします。この物語では,掴みかかってくる現実を夢だと押しとどめておきたい心のズレや歪みが地面をも動かし、真実ですら隠していったのではないでしょうか。

観劇直後は,あの物語は何だったのかとその分からなさに違和感を持っていた,いや正直申し上げると受け止められるだけの体力や余裕が今日は無かったようで,終演直後は「何だったんだろう,あれ?」とはてなマークを沢山浮かべてしまったのですが,こうして上演台本を手に取りながら紐解いていくと,こう解釈するべきなのではないかとのアイディアが色々出てきます。分かりやすいエンターテインメインとも演劇の魅力ですが,こうやってああでもない,こうでもないと考えることもまた演劇の楽しみだと思います。

劇団しようよさんの舞台には,そうした解釈のメモをあれこれ書き込めるような,そんな余白がたくさん設けられていると感じています(私一人の思い込みかもしれませんが)。こうやって時間をかけて体力を回復した上で,改めて振り返ってみると,こうやって思索を巡らせることができるポテンシャルを持っているという魅力を改めて感じるのです。そのあたりは,ちゃんとコンディションを整えなかった自分の至らなさを反省しつつ,また次回の機会にと期待を膨らませています。

さあこれで解決だなと,上演台本をパラパラ見ていたところ,登場人物の紹介に驚くべき言葉が並んでいるのを見つけました。「朱理…自称,神岡和重の妻。」ええぇ,自称って。この言葉がなかったら解決編に行ったかもしれない思索は,また推理編へと戻って参りました。ちょっと待って,警察。ちゃんと捜査しておこうよ。まだまだ思索は続きそうです。

こんな感じで,時間が経つほどに書くことが増えていく不思議な劇団さんです。劇団しようよさんは即効性の薬と言うよりは,時間をおいて作用してくる遅効性の薬なのかなと感じます。

最後に,キャストさんへのコメントで締めくくりたいと思います。

  • 城崎役:岩崎真吾さん…実はWindows5000以来,拝見しました。以前拝見したときは,登場人物の中でも変人方面にパラメーターが割り振られていましたが,今回はひたすらに真面目で一番の常識人。あのときとは全く違った男前でした。
  • 小宮役:コタカトモ子さん…冷静沈着で,おそらくは感情を出すことが仕事の邪魔だという感じの台詞回しと立ち居振る舞いに加えて,手帖で城崎を叩きにかかる勢いのギャップが印象に残りました。
  • 横島役:豊島祐貴さん…最初犯人だと疑ってごめんなさい。本当に純朴で人は良いけれど仕事はちゃんとできなさそう(←失礼)なオーナーという感じでイメージピッタリでした。
  • 立花役:石田達拡さん…あっけらかんとした軽いノリの学生さんでありながら,実は事件の核心を動かす狂気を身につけていた感じは,この物語の中で最も感情が読めない感じでした。その役どころを舞台上の軽妙な動きは合致していたように思います。
  • 神岡朱理役:紙本明子さん…初めて拝見する役者さんですが,ものすごく感情の振り幅とかバリエーションを沢山お持ちの魅力的な方だと思いました。あの重苦しい世界の中で,物語としては笑えない,でも観客としては笑ってしまう*3ユーモアを持った台詞は舞台の清涼剤でした。ぺぺぺぺぺぺ。
  • 神岡和馬役:市毛達也さん...城崎が舞台上で一番の常識人であるなら,一番の謙虚さを持っているのが和馬なのかなと思います。分からないことは分からないといい,感情を荒げることもない役です。役者さんとしてはおそらく目を引きつけたいとする誘惑があるのだと思うのですが,市毛さんの和馬はほぼ終盤まで*4,達観した和馬に徹されていたのではと思います。
  • 土屋役:土肥嬌也さん…暑苦しく,押しつけがましい感じが前面に出ている役ですが,物語で描かれる綻びのためには必須の役だったのだと思います。この劇の中で一番大きな声量は,一生懸命走ってきたけど周りの見えてない感じを目立たせていました。あの勢いなら和重も断れなかったのは納得です(笑)。
  • 早坂役・畑迫有紀さん…最初に和重のことを語るときに,良い先生ですと証言しながらどこか目が死んでいたことが記憶に残っていたのですが,陥れたことへの後悔もしくは元々たいした関心が無かったかの表れだったのかと思うと,表情すらも前振りだったのかと頷きました。岡崎の観光案内では笑顔が素敵な方だったので,今度は笑顔のある演目で拝見してみたいです。
  • 高倉役・高橋紘介さん…意識していないけれど女性を多く勘違いさせるだろうなあという,良い人ポジションである高倉と言う役。たぶん高倉は本心から不倫関係にはなかったと思っているんだろうなという天然な感じは,高橋さんの品の良さや,立ち居振る舞いの丁寧さがあってこそ成り立つイメージなのではないかと思います。
  • 松山役・楳山蓮さん…人の良いマスターの感じと共に,終盤にこちらに背を向けて座っている様が何か格好良く感じました。格好良いとか感じるシーンではないのにも関わらず。店が漁船に潰される気持ちは全くもって理解できませんが,マスターは和重に何かやらかしたのではと思うと,また思索が捗ります。
  • 沢村役・西村花織さん…劇団しようよの劇団員さんとして,これで拝見するのは3回目ですが,明るくサバサバした印象を受ける方なのですが,感情をむき出しにして敵意を示す台詞は,こちらが本気で怒られているような錯覚を受けるほどのエネルギーを感じます。
  • 音楽・吉見拓哉さん…劇団しようよの舞台としては欠かせない生演奏の担当者。劇のための演奏と言うよりは,演奏と劇が同格にあるのは劇団しようよの魅力だと思います。今回も物語の盛り上がりと歌のクライマックスが重なった箇所では,観に伺って良かったと感じました。

こちらからは以上です

www.gkd-444.com

*1:ちなみに上演台本では,このシーンはおまえとあんたの2人しか役はありませんが,入れ替わり立ち替わり出てきて,全員が登場しています。

*2:ちょうどシュレディンガーの猫を観測した瞬間に結果が収束してしまうかのように

*3:おそらくは自分を守るためのごまかしのユーモアなのですが…

*4:1度だけコメディの箇所がありますが