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リブラリウスと趣味の記録

観劇とかパフォーマンスとかの鑑賞記録を淡々と。本務の仕事とか研究にご興味ある方は本家ブログまで( http://librarius.hatenablog.com/ )

【観劇ログ】劇団しようよ2015年本公演ツアー「ドナドナによろしく」

ども。イマイです。

観劇はしごの2本目です。

東京は三鷹の武蔵野芸能劇場にやってきました。今回拝見する劇は,劇団しようよさんの「ドナドナによろしく」です。

www.gkd-444.com

 劇団しようよさんについては,既に書いておりますが,不思議な出会いをしています。劇団壱劇屋さんの客演で代表の大原さんを知り,「ウォーターメロンクラウドファンディングプロジェクト」に面白がって出資したら,何と勤務先の直近のせんがわ劇場で公演,ならば観に行くしかないというつながりでした。詳細は下記の過去ポストをどうぞ。

【観劇ログ】劇団しようよ「こんな気持ちになるなんて」 - リブラリウスと趣味の記録

7月のミニ公演を拝見した際に,これ40分ではなくフルバージョンで拝見したい…そう思っていたら,またもや勤務先の直近である三鷹武蔵野芸能劇場で公演とのこと。もちろん最優先でスケジュールを組みました。

勤務地の仙川からは明大前乗り換えで吉祥寺→三鷹と移動,三鷹駅北口からカラオケ館の横を線路沿いに歩き出すと,すぐ見えてくるのが武蔵野芸能劇場さんです。

【武蔵野芸能劇場】施設案内 | 公益財団法人 武蔵野文化事業団

この劇場は普段は寄席などを行っているようですが,現代劇もかなりの回数公演があるのとのこと。建物の3階部分,たしかにロビーの椅子などは寄席とかで観るタイプの椅子ですが,ホールに入ると照明やスピーカーなども建ち並び,良い感じの小劇場になっていました。観劇趣味を続けていると色々な劇場さんに新しく会えるというのもこの趣味の魅力であります。

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さて,恒例のネタバレ防止用改行を入れておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

舞台は,真ん中に平台が積まれ一段階高くなっていて,平台の周りに8脚の椅子がセッティングされています。内訳としては,下手と上手,舞台後方に2脚ずつ,舞台中央を向いており,舞台前方のみ,客席に向かって椅子が2つ並んでいます。それに加えて,吉見さんの演奏席が下手奥にセッティングされています。

代表の大原さんから前説が2回行われた後,静かな雰囲気のまま,舞台上に役者さんが一列にならび,音楽担当の吉見さんが演奏席にスタンバイします。

役者さんの第一声は「2015年…」,冒頭から西暦年が読み上げられながら,フリートークのような流れで,その年の出来事が振り返られていきます。年代はどんどんさかのぼり,いつぞや1988年,昭和の最後まで到達します。

これは何の前振りだろうかと,しばし考えます。考えているうちに,舞台上ではほとんど同じ台詞で,もう一度,その年の出来事が振り返られて行きます。しかし,ノイズのように入り込んでくる,誰もが知っている出来事でなく,どこかの家族の,何気ないやりとりが挿入されていきます。まるでシャノン・ウィーバーによる情報伝達のモデルで,ノイズが混入して情報が伝わるような錯覚を覚えながら,だんだんと断片が舞台上に積み重なっていきます。

一見,物語とは関連しないような断片が積み重なる中,牛の出荷シーンが目の前に現れます。そうか,ドナドナって子牛が出荷される話だったな,だからここから牛の話になっていくのか,牛の気持ちになって物語が最後まで展開されるのかなと,せんがわ劇場の記憶を思い起こしながら,私はこの先のストーリーを予想していました。

もちろん,そんなわけはなく,牛の出荷シーンは割とあっさり終わり,再び年代をさかのぼる作業。断片はさらに積み上がっていきます。

「平成」と呼ばれる男の子が,記憶を失ったというシュチュエーションが目の前に示されます。今年で平成は27歳になると言います。あれ,今年は平成27年じゃなかったっけ?ストーリーはどうやら単純なものでは済まなさそうです。

その後は,まるでミルフィーユのパイ生地を重ねるように,丁寧に丁寧に「有名なその年の出来事」の間に小さな情報が挿入されていきます。いや,情報と言うよりも,それ自体は何ら意味のないデータと呼ぶ方が適切かもしれません。やがてデータが集まって情報となり,情報の集合体が知識となるかのように,これらのデータが集まっていく中で,意味を持ち,前後の文脈が明らかになり,情報へと成長していきます。

何気ない老夫婦の紅白を観ながらの会話が並べてみると,永遠の別れを示すシーンを予感していたり(私は思わずここで目頭が熱くなりました),セーラームーンゴジラがはやったよねと役者さんがマイムで示していた模倣が,実はある兄弟の忘れられない日常だったり。

この物語には沢山の余白が詰められているからこそ,観る人によってその姿は千差万別ではないかと思います。私は1980年生まれで,平成を8歳〜9歳で迎えていて,その記憶とリンクしながら,舞台上の出来事が見えています。だから,父方の祖父との別れと,老夫婦の別れと重なってしまって,何気ない物語,他の人から見るとただのデータでしかないその断片が,意味を持った情報に見えてくるのです。

冗長なように見えた「有名なその年の出来事」も,ある家族にとってはかなりの重みを持った出来事で,私にとっては大事件だったあの出来事は,その家族にとってはたいしたことではなくて。

コンピューターのハードディスクのデータをリカバリーするかのごとく,引き続き雑多に示された断片が積み重なっていく中で,クライマックスに近づいてきます。

兄弟の別れは,本当の別れだったのか,それすらも誰かと誰かの物語がつながっているように見えているだけの錯覚なのか,それともそれ自体がただの錯覚なのか,それは劇場で確認して頂ければと思います。

終演後,大原さんとカムヰヤッセンの北川大輔さんとのアフタートークショーが行われました。もっと周辺的な,舞台裏の話がされるのかなとおもいきや,いきなり直球ストレートで,「大原さん,何でこんな話を作ったんですか」という物語の核心に迫る質問から展開されていきます。その全てを録音して公開したいくらい,重要な話がどんどん出されていました。私の記憶を辿って,その断片を少し披露したいと思います。

  • パンクロッカー27歳寿命説に従って,平成というものが27歳で寿命を迎えたら,どうなるかを描いてみたかった。平成がもし死んだらどうなるかということを考えていた。
  • (大原さんにとって)自分は平成0年(1988年)生まれで,この時代を全肯定も,全否定もできない。血反吐を吐いても向かい合わなければと思っている。
  • わかり合うと言うよりは,今の時代は,わからない,わからない,でも側にいさせて話を聞かせてくれという時代,それに合わせた物語をことが必要だと思っている。
  • 何か一つ中心になるものを作ると言うよりは,様々なものを提示して,見る側に委ねる作品が作りたかった。
  • この物語で出てくる平成は,記憶喪失と言うよりも,昭和のようにまだ終わっていないからこそ,振り返ることが出来ないのではないか,むしろのっぺらぼうのような存在ではないか。

うっかり公演アンケートに,姉が記憶喪失か,弟が記憶喪失かじっくり考えたいとのコメントを書いてしまいましたが,なるほどこんな感じで作られていたのか…と知ることが出来るちょっとお得なアフタートークでした。

勢いがついているので,そのまま役者さんを一人ずつ挙げてコメントします(もし役を取り違えていたらごめんなさい)。

  • 西村花織さん,お姉さんとして,そして弟の大切な記憶として出てくる非常に印象的な役柄でした。終盤のスポットライトに照らされた姿が,凄く胸を締め付けて今でも思い出すほどです。あと,ゴジラの踏みしめる足音が思い出されます*1

  • 藤村弘二さん,サラリーマンかつ狂牛病の牛。特に狂牛病のシーンでコロッケになりきれなかった牛の心の叫びを,台詞回しと動きで的確に表現されていました。ああいう牛がいるなら,いただきますと心から言いたくなります(何

  • 山中麻里絵さん。老夫婦の婦人の方。何度も出てくる独りぼっちで見る紅白歌合戦のシーンで,ふと横を見る姿は,正直目頭が熱くなってしまいました。でも老婦人以外の所では,ちゃんと切り替わって別人になっていて役者さんって凄いと改めて。

  • 木之瀬雅貴さん。弟として,不器用にそれでも家族として姉とやりとりする姿は自分も何かを重ねていました。終盤,舞台前方で独りぼっちで座っている姿は,置いてけぼりになっている「平成」の寂しさが出ていて,これも記憶に残っています。

  • 金田一央紀さん。サンタフェのおっちゃん父親。姉弟を迎えにきたときの優しそうな声は,子ども想いの父親の姿が後ろに浮かんできます。だからこそ,お姉さんの絵を描くことを依頼するシーンや,アルバムを開きながら妻と会話するシーンが際立ってくるのでしょう。

  • 工藤さやさん。母親。果たして「平成」に寄り添っていたのは,この母親か,それとも…。姉弟の喧嘩を戒めるシーンは,なぜか私の子ども時代を思い出させ,自分の母親が眼前にいるかのようなリアルなシーンでした。私もあんな風に怒られた気がします。

  •  田中祐気さん。医者もしくは画家,それから農場で牛を処理する人と,老人。ポイントポイントで,実は物語を展開させる大切な役割。実は最初から医者なんていなかったのでは…と思うくらい,色々な解釈を許してくださる「曖昧さを残す」難しい演技をされていました。

  •  長南洸生さん。近所のお兄ちゃん,物語の終盤に姉弟が別れが訪れたことを示す役ですが,タキシード仮面のキザな兄ちゃんで美味しいところを全部持っていきました(汗。

  • そして舞台上で音楽を奏で,歌を紡ぎ上げた吉見 拓哉さん。音楽の切れ目がちょうど物語の進展と重なっていて,この演目の印象を一段も二段も強調していました。

これだけ書いてもまだ足りませんし,表現し切れていない感じがあります。演劇を見てあーだ,こーだ考えられる,これは観劇の醍醐味中の醍醐味でして,今回の演目はそれを受け止めてくれるだけの奥行きを備えた素晴らしい作品でした。 

イマイとしては,ちょうど大学の授業で学生さんに教えている内容と重なるところがありました。具体的にはデータ,情報,知識の区別という話題でして,来年からは学生さんの説明に今日の経験が生かせないかと考えるぐらい,興奮しています。

100分の上演時間,頭をフルに使いながら,それでいて不思議と心地よい空間でした。今,この時代,この時に,フルバージョンで拝見できて本当に幸せです。11月23日(月)まで引き続き上演するとのことなので,お近くの方は是非。

おまけ:

観劇後,ネタバレが含まれておりますが,下記の記事を見ると,さらに理解が深まる気がします(私は少なくともそうでした)。

www.musashino-culture.or.jp

*1:これはコミカルなようで,実はかなり重要シーンです